はじめに
息子が中学一年の二学期中頃から不登校を始め、
高校に入学をするまでの、約二年間の関わり方を
詩と散文に書き留めたものを
「息子と歩んだ道」として綴っていきますので
御一読、頂ければ幸いです。
旅立ち
中学一年の秋
息子は十三歳にして
人生の壁に突き当たり
藻掻き 苦しみ
不登校の道を選んだ
不登校の息子の気持ち
その道は
親の生き方と価値観
学校教育の在り方
全てを拒否する宣言だった
繊細な心の持ち主ゆえに
言葉に表せず
不登校という行動で
意思表示したのである
野球にたとえるならば
ピッチャーがキャッチャーの
サインを無視して
とんでもない暴投を
したに等しい
息子は
家庭内暴力 昼夜逆転
閉じこもり 高価な買い物など
多種多様な変化球を
刻を選ばず投げ込んできた
その変化球を
どこへ投げられようと
受容というキャッチャーミットで
ど真ん中のストライクにして
捕らなければならない事に
気付いた
私たち夫婦は 死に物狂いで
息子が世に出たとき
自立できるよう陰ながら祈り
手を貸し共に歩んで来た
それは
いつ終わるのか分からない
自分との戦いであり
一般常識を越えた生き方でもあった
あれから三年
息子はヤゴが川の底から
這い出し萌えるように
自分を見いだす道を
一歩 一歩
歩み始めた
2001年1月31日
不登校のきっかけ
息子は、中学での部活動は(1998年)バスケット部に入り
秋には、新人戦のレギュラーに一年生からただ一人選ばれた。
子供のころから、他の子供より頭ひとつ大きく機敏でした。
学業、部活、日常生活はこれと言って変わったことも無く
過ごしていたのですが、二学期の11月中ごろから休む日が
多くなり、口数も少なく部屋にとじこもる様になりました。
何回か理由を問いただすと
「部活で先輩たちに一年生のくせに生意気だと苛められるから
学校へ行きたくない」
部活での苛めが発端となり不登校をするようになったのです。
学校と先生の対応
理由を聞いた私と妻は学校側に面会を申し入れ、校長、教頭、
学年主任、担任、部活指導の先生等の方々に今後の取り組みを
相談いたしました。
まず苛めが有ったか、無かったのか学年主任先生が調査する。
息子には、担任の先生が折に触れて訪問してもらい疎通をはかる
事になりました。
そして、一週間後に調査報告をして貰う事になりました。
ただ、気になったのは
担任の先生が頭に手を組み椅子に反り返りながら
「お父さん、お母さん甘やかして育てたんじゃないですか?」
私は、担任教師の言葉よりも椅子に反り返りながら発言した
態度に内心憤慨しました。
一週間後、学年主任先生から学校の会議室で調査の報告が有った。
「バスケ部の生徒たちに聞いたところ、苛めはしていないとの
返答だったので、苛めは無かった。
これからは、苛めが起きないよう生徒に指導していきます
息子さんには、引き続き登校出来るように疎通をはかっていきます」
要約すれば上記のような回答でした。